KeikoTAKEMIYA_MangaStudies

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書籍紹介
2020-05-01

■■ マンガの脚本概論 ■■

角川学芸出版 2010.04
この本は、こんな感じで書かれています…
FAST!!ポスター
■第1回 ガイダンスとマンガ言語についての考証
マンガを描くために必要な脚本とは
「マンガを描くために果たして脚本は必要か?」
 ———結論から言えばYESですね。私はマンガの脚本などまったくない時代に十代から40年近くマンガを描いてきましたが、途中、20代後半になってやっと「マンガにおける脚本とは何か」をつかみ、物語を落ち着いて作れるようになりました。その経験からも、自信を持ってそのように言えます。
 マンガを描くという作業はそもそも、とても感覚的なもので、コマをどう切ってそこにどんな絵を入れるかなどは、ほとんど絵画を描く時と同様に、すべてごちゃまぜに頭から出てくるものだ、という考え方もないわけではありません。しかし実のところは、絵画にも設計図がないわけではなく、描く人の心には、常に描いた結果がその絵を見る側に与える影響や、その効果を思い描くという行動があり、それは頭や心の中だけで行なわれているとはいえ、もうすでに設計図や脚本にあたると言えるものです。とすれば、それよりもずっと複雑な構造を持っている(ように見える)マンガには、当然ことばや図にならなくても、設計図があってあたりまえと言えますね。
 マンガにおいてはその設計図が作品全体に必要なだけでなく、一コマ単位、ページ単位でのデザインや描き文字の表現、効果線の入れ方に到るまで、演出可能な要素はまさに映画に劣らぬ範囲の広さで存在すると言えるでしょう。さらにマンガには、ことばでも映像でも伝えられないものを伝える能力さえあります。それをもし、何重にもレイヤーになった状態で作られた分厚い設計図のように、技術の各分野を何枚もの設計図に分けて見せることが出来たら、そのテクニカルなことは一目瞭然に理解されるのかもしれません。しかし、現実においてはそんなものはなく、実際にはほとんどのマンガ家は新人の段階でも、その工程の全てを自分1人で設計し、たった1ヶ月ほどで1本の作品を作り上げてしまうのです。
 こうしたマンガ家のやり方そのものも、実はひとつの「オリジナリティ」として作品に付加価値を与えています。ストーリーの出来や魅力的なキャラクターだけが作品の価値を決めるわけではなく、「読ませる力」や「印象を残す演出」もまた、読者に何かを手渡す重要な手段であり、私はむしろ、その目に見えない部分をこそ、「マンガの脚本」を勉強しようとする皆さんが手中に収めて、それを最大限に使って自分の作品を作りあげていって欲しいと考えています。本当のことを言うと、そういう目に見えないオリジナリティが作れて初めて「デビューに値する」と言えるのだけれども、それをクリアしてデビューしてくる新人はそう多くはないのが現実です。既にデビューを果たした新人でも、実はまだ自分の設計能力をよく分析・理解していないので、それゆえに作品の出来が良かったり悪かったりと、不安定になりがちなのですね。
 そんなマンガの脚本術を少しでも明らかにして、作者が描こうとするイメージとメッセージをどうつかんで、どう作品の中に埋め込んだらいいのか、皆さんが最も知りたいはずの部分をはっきりさせるために、これから「マンガの脚本概論」をひもといてみたいと思います。

日本語と日本のマンガの関係
 その前に、マンガというものがどうやって発展してきたのかを少し考えて、マンガというメディアが何者であるのかを理解しておきましょう。
 ご他聞に漏れず、マンガもまた「外圧」によって発見された日本発の文化であることは周知のことですが、海外から日本のマンガを学ぶためにやって来る留学生は大変に多く、慣れない日本語を使って日本人の登場するマンガを描こうとします。それはいったい何故なのでしょうか。どう考えても韓国流に右開きで描いて、それを訳したほうが早いような気がします。しかし、そのことは、マンガが如何に日本語と近く、日本語と寄り添いあって発達してきたものかということを、私に気づかせたのでした。
 右から左に流れるコマはこびはもともと縦書きである日本語の並べかたから来ているので、右から左に読むほうが圧倒的にスムーズ(その論理からすれば横文字の国では横長のページになるべきか?)です。また左に流れる画面の中では左向きの顔が多用されるのは自然の成り行きです。読むスピードを上げ、読者の意識を滞らせないために、コマのつなぎかたは工夫され、その工夫が気づかれないことをよしとします。術は術であることを見破られてはならない。日本のマンガは技術において、既にその域に達しているのです。
 外国で描かれる日本マンガに似た作品には、そういう理屈があまり理解されていないものも見かけます。非常に絵がうまくて、これだけの力があれば、もっと飛躍的にヒットしてもいいのにそれが適わないのは、もしかしたら、そういうささいな技術的部分が原因なのかもしれないのです。そうだとすると、留学生が日本語でマンガを描こうとすることも、うなずけないことではありません。日本語を習い日本語を使って描くことが、一番日本のマンガ術を理解しやすい、という事実!は、そう考えると納得できます。これはまた語学研究者がマンガにはまる率が高い所以でもあります。
 日本語を習い、日本語でマンガを描いた留学生たちが、母国に帰って日本流のマンガを描くのではなく、その国のことばと寄り添いあったその国のマンガ術を留学生たちが発見し、その国流のマンガを根づかせてくれる、そんなことがこれからは起きてくるかも知れません。中国はとりわけ日本のマンガ術に関心があり、誇り高い中国ならこれからそういう道を開発していくかもしれません。私にとってはそれが楽しみでもあり、恐れでもあるのです。しかしそうなって初めてマンガは世界に輸出されたと言えるのであり、ことばに関係のないところで、その独特の技術がはっきりと抽出されたと言えるでしょう。

  • マンガをことばとして使う

 もう漠然とお解りかと思いますが、マンガはひとつの表現言語です。
 この言語は複雑な階層を持ち、映画も小説も及ばない領域までその表現の広がりを持っています。また長く文化として認められなかったがゆえに、自由で闊達なパワーと変幻自在の忍者のような顔さえ持っており、好悪ふたつの面を見せて、時代によっては弾圧されたりもてはやされたりするトリックスターでもありますね。このマンガ言語が最も理想的に、伝えたい内容にあった方法で使われたときには、その爆発的なパワーが予測をはるかに越えるものとなることは、数々のヒット作を見てきた皆さんには容易に理解出来るはずです。
 これを使うにあたっては、使おうとする者がその危なさや不確かさも含め、よく理解してあたらないと、思わぬケガをすることがあります。はっきりと言葉に出来ない思いやメッセージ、文章にできないような嫌な思いを伝えたりできる反面、きちんとその言葉を使わないと、読者に誤解をあたえたり都合のいい解釈をされてしまうことがあるのです。ある特殊な宗教団体がマンガを使ってその教義を説こうとしたり、たった1枚のカートゥーンが世界中を駆け巡って世論に影響を与えたりすることを見てもわかります。
 ではどのように、それを使うのか?
 まずはその言葉を理解しなければそれは適いません。次にそれを制御し、余分なものを取り除き、一番伝えたいことがすっきりと伝わるように工夫をする。こう言ってみれば、他言語を使うときとまったく変わりないことが解りますね。日本人にとっては、今や生まれたときからすぐ傍にマンガがあり、マンガ言語に関してはほとんどバイリンガルな状況にあるといえます。そんな中で育ってきた日本の若者にとっては、既に学問する前に自然と使えるようになっている、そういう言語なのです。しかしそれだけに、丸ごと飲み込んでいるだけ、身体に覚え込ませているだけであって、意味や文法を理解出来ているわけではないので、日本語を話せていても国語の勉強が大切であるのと同じように、その使い方をしっかりと学ぶべきだということが言えます。
 学ぶということはもともと退屈な確認から始まるのが通常で、既に知っていることをもう一度、学問的に再確認していくものです。「マンガの脚本概論」でも、まずは皆さんが既に知っていて、使っているマンガ言語とはどんなものかを確認するところから始めましょう。さあ、出来るだけ短く、出来るだけ早くこの課程を終わらせるために、集中してください。
【ご注意】
本の記述と全て同じわけではありません。

書籍紹介

2020-05-01

■■竹宮恵子のマンガ教室■■

筑摩書房 2001.06
竹宮惠子のマンガ教室
「JUNE」誌に連載した『K子ちゃんのお絵描き教室』を中心に筑摩書房の編集者だった藤本由香里が竹宮にインタビューしてまとめた本
この本は2000年に竹宮が大学教授に就任する直前の1999年秋から出版準備した。そのため大学で脚本概論を担当した竹宮の、まず最初の教科書となった。漫画家が教員を務めることも授業を担当することも初めてであるため、何もかもが手探りで、のちに『マンガの脚本概論』が刊行された時にお役御免となる。これを使った学生たちは「卒業して数年経って読んだら、結構納得した」と言っている。
挿し絵も多く、読みやすいと言えるが、論理的に構築したものではなく、エンターティメントな読み物という方が近い。

書籍紹介

2020-05-01

■■石の綿■■

〜マンガで読むアスベスト問題〜
かもがわ出版 2012.07  

〜終わらないアスベスト禍〜
神戸大学出版会 2018.07

石の綿1石の綿2

この2冊は内容が重複する。『マンガで読むアスベスト問題』は神戸大学人文学研究かと京都精華大学マンガ研究科のコラボレーションにより、作られた最初の書籍。当初の編集過程では、アスベストとは何かを説明することから必要だった。一般にまだ「アスベスト」ということばさえ浸透していなかったからである。そのためマンガ本としては分厚く、重いのが難点だった。

そしてもう一冊の『終わらないアスベスト禍』はその後神戸大学出版会が設立された際、最初の出版物に選ばれて再編集されたもの。裁判などの経過により、情報が古くなった部分を改訂した。

書籍紹介

2020-05-01

■■マンガで読み解くマンガ教育■■

阿吽社 2014.03
マンガ教育
読んで字のごとくマンガと評文によって、設立後10年を経過した日本初のストーリーマンガ教育を読み解く。

この本は半ば強制的に京都精華大学内の人文学者とマンガ教育の実務教員(主に漫画家)を集め、「マンガ教育研究会」を立ち上げたことから発している。最初のうちはお互いに初対面で、同じ大学内の教員ではあってもなかなか馴染めず、研究会のハンドリングも難しかったようだ。亀岡での合宿研究会を経て、ようやく打ち解けてからは面白い研究会となった。マンガ実務教員はこの本のためにレポートをマンガで描き、人文学教員はたくさんのマンガ教員へのインタビューをもとに、京都精華大学ならではのマンガ教育を解析している。

書籍紹介

2020-05-01

■■マンガ/漫画/MANGA■■

神戸大学出版会 2020.03
マンガ/漫画/MANGA
神戸大学にて人文学研究科70周年キックオフイベントとして2019年3月にマンガシンポジウムが催された。この本は約1年後にその成果をまとめたものである。

『石の綿』からのお付き合いで、竹宮が自身のマンガのページをコラージュして表紙を装丁。マンガの専門コースを持つ大学でなら、このようなシンポジウムも珍しくはないが、そうではない大学においてマンガについてだけのシンポジウムが行われるのは非常に稀だ。もちろんマンガは極めて人文学に近いのだが、意外にマンガ研究も多くはない。それでも、マンガが良き研究対象であり、意欲をもってマンガに関心を持つ人は多い。もっともっと人文学の中でマンガに言及があることを、心から願うものである。

関連情報01

角川学芸出版
株式会社角川グループホールディングスが、株式会社角川書店、株式会社アスキー・メディアワークス、株式会社角川マガジンズ、株式会社メディアファクトリー、株式会社エンターブレイン、株式会社中経出版、株式会社富士見書房、株式会社角川学芸出版、株式会社角川プロダクションの連結子会社9社を吸収合併し角川学芸出版の社名は無くなった。。

KADOKAWA(Wikipedia)LinkIcon

関連情報02

筑摩書房
堅実な文学系の出版社であり、文学者を中心に個人全集を刊行。「全集の筑摩」と称される。マンガ系のものはほとんど無く、『竹宮惠子のマンガ教室』もその中では珍しい。

筑摩書房LinkIcon

関連情報03

阿吽社
阿吽社は京都にあり、宗教系思想系に強い出版社。阿吽社が著者として名を連ねるマンガ『阿・吽』は小学館ビッグコミックスピリッツでの連載。マンガ化するのはおかざき真里氏。空海と最澄の若き日の姿から追う物語。

阿吽社LinkIcon

関連情報04

神戸大学出版会
出版会基金を設け、大学出版でもなければ出版が難しいような小ロットの学術出版を続ける。出版会自体の縮小が当たり前となっている現在、このような学術出版を行う場所があるのはありがたい。

神戸大学出版会LinkIcon